道の続く先

たまに更新します

変わらないことは大切

先日は月一回の診察日。
毎月の診察は今回で最後。
次回からは隔月の診察になります。
少しずつ親離れをするように、病院から離れていく準備をしています。

 

診察では…なんだったかしら?
特別なことはなくいつもの通り。

 

カウンセリングではここ半年程の回復具合について。
半年程度では安定したとは言い難いですが、一年前と比べると楽しいことを話題にすることが圧倒的に多くなりました。
友人や同僚と食事に行く回数も増えました。
趣味を通じて新しい出会いもありました。
それに伴って自己嫌悪に陥ったり不安になったりもしますが、以前に比べてそれは生活を脅かすものではありません。
少しは対人スキルが上がってきたのでしょう。

 

一年の中で一番苦手な春を迎えて、気候に釣られて体が不調を訴えてくるのをじっとやり過ごす毎日。

 

この時期は大活躍の伊勢木綿

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楽しさに惚けて

もう3月になってしまう。
先日は月一回の診察日。
忙しかったり楽しかったりして診察記録を放ってしまったわ。

 

診察では相変わらず。
此の期に及んで主治医から子供の催促。
そろそろ年齢的に無理だと思うのだけれど。

 

カウンセリングでは最近の楽しいことを。
楽しいことが多すぎて遊び呆けている日々。
楽しいことの続きが見たいから、とりあえず生きていようと思える程度には人生を満喫している。

 

もうすぐ春。 

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終わってみればあっという間

先日は月一回の診察日。
今年最初の診察でした。

 

診察では6年半ぶりに会った母とのことを報告。

 

カウンセリングではここ数日のことを。

先日、親戚の結婚式があり参列してきました。
親戚とも15年ぐらい音信不通にしており、姉経由で出席要請が来ました。
最初は欠席しようかと考えましたが、これも何かの機会だと思い出席することにしました。
そこで6年半ぶりに母と顔を合わせました。

 

私が結婚すると決めた7年前。
主治医を立会人にして、母と話し合いをしました。
母自身にも問題があり、不器用にしか子供を育てられなかったのだろうと思える程度には私も大人になっていました。
ただし、母の彼氏が私にした虐待を母が黙認していたことについてはどうしても許すことはできなかった。
虐待の事実を母に伝えて1年以上経ってからの話し合いの場でした。
「気がついた時には注意していた」
「やめて欲しいと彼氏と話し合いをした」
「今更どうしろというのか⁉︎」
以前は虐待の事実を知らないと言っていた母は虐待を認識していたことを自白して、開き直りました。
私は絶縁することを決めました。
この話し合いで「あの時はごめんね」と一言でも言われていたら、母に結婚することを告げ、夫にも紹介していたと思います。
夫の両親にも母との関係修復は無理だと伝え、私の母はいないものとして親戚との関係も断ちました。

 

そんな中での親戚の結婚式。
とりあえず独身のフリをして出席してきました。
親戚と交流のある姉がだいぶ話をしていて、親戚は私が結婚していることも知っていましたが、私は母と断絶していること、連絡先はおろか結婚していることさえ母には伝えていないし伝えたくないことを正直に伝えました。
親戚はそんな私の現状を受け入れてくれました。

 

結婚式当日。
母の姿を視界に捉えた瞬間、背中が強張りました。近づいて来ると膝が震え出し奥歯がガタガタと鳴りました。
軽いパニック発作、フラッシュバックの初期症状。
泣いたらダメだ!とグッと涙を堪えて指先を動かし、お茶を飲んで今現在の自分を認識すると、少しずつ大人の自分を思い出して落ち着きました。
以前ならその大波に流されてしまっていましたが、今回は何とか現実に留まることができました。
今回は発作が起きるであろうと予測していたので、予め対処法を考えていきましたし、今までの訓練の効果があったと思います。
とはいえ、存在するだけで娘にパニック発作起こさせるとは相変わらずの母です。


当日までは胃が痛くなったり不安定になったりしたものの、行ってよかったと思いました。
退院して次の春で10年になります。
今だからこそ母と顔を合わせても大丈夫でしたし、親族の結婚も祝うことが出来た。
機会は与えられるもの。必要な時に必要なものが巡って来ると思っています。

今年最後の診察

先週は月一回の診察日。
風が強くてすっかり冬の気候になっていました。

 

診察では年末のご挨拶。
今年の診察も今回で最後です。

 

カウンセリングでは楽しいことについて。
忙しかったり疲れたりしながらも、ここ数ヶ月は新しいことが沢山起こっていました。
お友達と服を買いに行ったり、海外からバックを取り寄せてみたり。
趣味らしきことができて、その趣味仲間と雑誌の回し読みをしたり。
少しずつ人間関係が開けてきた感じです。

 

どこにいってもはぐれ者だったので、独りでいることには慣れていました。
アディクションにハマり、回復の中で仲間ができました。
皮肉なことにアディクトでいることで、はじめて仲間ができました。
アディクトであることが私のアイデンティティーでした。
アディクトであることを取り除いてしまうと、また独りに戻ってしまうから。
夫も含め周りには私のアディクションを知る人ばかり。
病から離れて生きていきたいのに、病から離れては生きていけないとずっと思っていました。

 

退院して9年半。
病気とは関係なく楽しめることがようやく出来るようになってきたのだと思います。
決してアディクトであることを忘れたわけではありません。
アディクトであること以外にも、私のアイデンティティーらしきものができはじめたのかな? とカウンセラーさんと喜びを分かち合ってきました。

 


着物で行ったら「いつも通りに戻ったね!」と言われた。

 

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5分でも長く寝ていたい

もう月末だわ。
診察記録なのでわすれないように。
疲れ切っていて、着物ではなく洋服で行ったら病院スタッフの皆さんに二度見されました。

診察では、なんだったかしら?
診察内容覚えていない。
洋服もいいね!と褒められた。
着物だろうが洋服だろうが、良いところを見つけて褒めてくれるのは主治医の良いところだと思います。

カウンセリングでは疲れていることについて。
今月初旬に友達と洋服を買いに少し遠出をしました。
年明けに出掛ける用事があるので、その時の服を選んでもらいました。
とても楽しかったのですが同時にとても疲れてしまい、疲れが抜けるまで一週間かかりました。
その疲れている最中に診察が重なり、ヘロヘロな状態だったのです。
今月はその影響で月末まで倦怠感が抜けず。

昔から洋服が買えずに街中で泣いていたので、楽しく買い物が出来て本当に楽しかったです。
そして、自分の買い物の仕方が下手だったのだと実感しました。

 

紅葉はまだもう少し

先日は月一回の診察日。
山の上は紅葉が少し始まっていました。

診察は相変わらず。
毎回相方さんをいじめていないか確認されるのですが、強く当っているのがバレているのかしら。

カウンセリングでは近況報告。
マジョリティに馴染むにはどうしたら良いのか。
別に孤高を気取っているつもりはないのですが、気がつけばいつも外れ者。
学生時代からそれは変わらず、今に至ります。
メンタル的に健常でない何かを無意識のうちに出しているのか、それこそ自分では気がつかないうちに非常識な行動をとっているのか。
何かコミュニケーショントレーニングを行った方が良い気がしています。
とはいえ、院内で行われているSSTソーシャルスキルトレーニング)では目的が違う気がしますし、問題点がどこにあるのかすらはっきりしないのでほとほと困り果てている状態です。
どうしたらいいのでしょう。

 

 

腰ひも緩くて帰宅時にはズルズルしてた。

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相手を見極める大切さ

先週は月一回の診察日。
お天気悪いというから傘を持参したのに、一度も降られなかったヨ!


診察では相談ではなく報告を。
前回の診察の際、そろそろメッセージを行うのを卒業してもいいかな?と相談したら、色々飛び越して「卒業」することになってしまい、とても焦りました。

後のカウンセリングの際に気づきましたが、主治医は「決断」を下す際に必要な人であって「相談」する相手ではないということ。


カウンセリングでは母について。
久しぶりに母に会う可能性が出てきたので、改めて過去のことを。
怒りにエネルギーを割く事をやめてだいぶ経ちます。
物理的に離れたのも大きいですが、怒らなくなったことは精神衛生上とても良いことです。
母へ怒りを向けても絶望しか生まないことを受け入れてからは、怒ることすら面倒になりました。
母が私にしたことを水に流したわけではありません。
母が私にしたことは多分一生許せない。
それでもいいと今は思っています。

「幸せになる」と決意してから、私自身の為に生きることにした。
自分で選んだ人生を大切にしたいから、誰かの感情に振り回されて絶望を前に泣くことはやめた。


母を目の前にして泣き出したりはしないと思う。うん。たぶん。

 

この長着ホント評判いいわ。ヘタレてきてるけど。

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急に変化は求めない

先週は月一回の診察日。

今月は保険証を忘れませんでした!

診察では先月の体調不良についての愚痴を。
久しぶりに希死念慮に取り憑かれて仕事も休みました。
とりあえず自傷行為も嗜癖行為もせずに乗り切りましたが、相方さんにまで「死にたい」と口にするぐらい状態は悪かったです。
相方さんと共に過ごすようになって、できるだけ病的な言動は見せないでおこうと思いました。
寝込んだり泣いたり喚いたりはしてしまいますし、病気を隠したりはしていません。
でも、自分の病気に相方さんを巻き込みたくない。
希死念慮も嗜癖行為も吐き出すべき場所は相方さんではなく、病院や自助グループなど私も相手も安全な場所でと考えています。
家族であるが故に「分かってほしい」と貪欲に思って(甘えて)しまうので、大切なことは思いやりだということを忘れずにいられたらと思うのです。


カウンセリングでは体調不良の原因について。
今回の不調の発端は、相変わらず相方さんの飲み会。
帰宅すると連絡があってから3時間も帰ってこず。
そのことで私が怒ったのですが、怒りから自己嫌悪が生まれて希死念慮に繋がりました。
相手に対して怒りを持つと、こんな私が怒ってるなんておこがましい、怒るなんて大それたことだと思ってしまうのです。
他人に向けた怒りで自分が死にたくなるのは今回が初めてではありませんが、毎回自尊心や自己肯定感の低さにゲンナリします。

 


真夏に着るには暑苦しい色合いですが、3年越しにおろした長着。

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準備は前日うちに

先週は月一回の診察日。
保険証と診察券を忘れてダッシュで家に駆け戻った朝でした。
月一回の診察のため保険証忘れるのは厳禁なので。

診察では依存症について教育用データの録音。
文章に起こして病院の教育用の資料の一部になるそうな。
真面目に問答をしたのに、録音されていなかったのでまさかのテイク2。
レコーダーの電池残量が心許なかったので、2回目はだいぶ駆け足になりました。
「簡潔になって良かったんじゃないかな!」と良い方に捉えるのはさすが主治医というべきか。


カウンセリングでは依存するのに続かないことについて。
根底にあるのは「どうせやっても無駄」という感覚。

依存対象ですら続かない私ですが、入院中から始めたブログは10年続いています。
当初のブログはサービス終了しすでに跡形もなく消え去りましたが。
色々なものに興味を持つうちに、そのうち長く続くものが出てくると思うことにしています。

 


速乾性があるとはいえ、セオαに比べると熱が籠るポリエステルの長着。
帯は上手く締められない上に、思った以上に立体感がありすぎる織りで、帯締め扱いたら指の皮が剥けて出血した。 

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降りそうで降らない梅雨空

先週は月一回の診察日。

朝から暑くなりそうな空気だったのに、山の上の病院はとても涼しかったです。


主治医とは思考の変換についての考察。
珍しく話聞いてもらえました。

相方さんとは以前の飲み会の際、朝帰りの挙句ゲロゲロしていたので、そういうことはしないで欲しいと話合いをしていました。
この前その相方さんが飲み会に行き、通常よりかなり早く帰宅しました。
早く帰宅したもののやっぱりゲロゲロしながら寝ている姿を見て、私は怒りの感情を抑えるのが大変でした。
『何回言ってもゲロゲロしてるなんて、アル中なんじゃないの⁉︎』と襟首掴んで詰め寄りたかったのですが、時間が経つにつれて少しずつ私の考えが変わりました。

もともと相方さんは同時に複数のことを行うのが苦手です。
今回も『早く帰らなくては!』との一心で帰宅したら、思ったより酔いが回ったのだと思います。
(徒歩で飲みに行っていました)
正直に言えば怒るより呆れますが。
それでもそれが相方さんの性格ですし、実際それはお酒以外にもよくあることです。
私が過剰反応しているのがお酒にまつわるエピソードなだけで。
また一人で空回っているのだと気づいたら、湧き出るような怒りもどこかへいってしまいました。

問題は相手との関係性の中で生まれること。
同じ問題でも見る視点を変えることが、結果的に自分が楽になる結果に繋がっている。
相手を責めるばかりではなく受け入れること。
言葉ではよく聞くけれど、今回しっくりときたのでそのことを報告。
久しぶりに主治医に褒められたわー


カウンセリングでも主治医と同じ話を。
家族のお酒について、脊髄反射をしてしまうのを早くやめたいものです。

 


このしじらの着物は主治医が絶賛してくれた。 

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