道の続く先

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嫌いではなく怖れ

相方さんが体調不良の中、飲み会に行きました。

いつもよりは早めに帰宅したものの、調子が悪そうな姿を見て気持ちがざわざわ。

 

酔っ払って帰ってくるのは仕方ない。

体調が悪い中、出かけて行ったのは相方さん自身の問題であり、私の問題ではない。

相方さんは大人で、私がどうこう言うものではない。

 

冷静な頭では理解出来るものの、相方さんの青白い顔を見ながら気持ちのざわつきは収まらず。

 

また過去に戻ろうとしている。

身体を動かしていないと、過去に引き摺られる。

 

「仕事なんだから飲まないわけにはいかない」

仕事の付き合いがあるのも分かる。

それでも気持ち悪そうな顔をして帰宅して、枕元に洗面器を置いて寝る母がずっと嫌いだった。

 

でも、相方さんの寝顔を見ながら気づいたのは、嫌いというよりは怖かったのだということ。

 

毎回毎回母の身体に負担が掛かって、私も一人で置いておかれて、誰も何も言ってくれない。

ただ黙々と母が脱ぎ散らかした服を片付けて、水を飲ませて、洗面器を準備して・・・

恐怖から目をそらすために母を嫌って、最後には何も感じなくなった。

このまま目を開けないのではないか、呼吸が止まってしまうのではないか。

(酔った時の寝息は通常と大きく異なりますね)

 

「大丈夫、酔っているだけだよ」

誰かが笑い飛ばしてくれていたら、もう少し違ったのかもしれない。

狭くて暗いアパートで、酔った母を介抱する自分から抜け出せない。

 

酔っ払いが嫌いなのではない。

私が孤独になるから身内が酔うのが怖いのだ。

他人が酔っていても気にならないのはそのため。

この淋しさは相方さんに埋めてもらうものではない。

自分でしっかり抱きしめるもの。

 

 

とはいえ、体調不良の時の対処法ぐらい心得ておいてください!と相方さんにはしっかり抗議しました。