道の続く先

たまに更新します

冬が終わるというより春が来てしまう

先週は月一回の診察日。
山の上の病院は快晴でした。

診察は相変わらず。
相変わらず過ぎて何を話したかしら…?

カウンセリングでは、自己肯定感の話。
この前、久しぶりに独りで遊びに出掛けた反動で、体調を崩しました。
遊んでいる時は純粋に楽しかったのですが、時間が経つほど「楽しんでしまった」と罪悪感が出てくるのです。
自分のための楽しい時間を過ごすことは相変わらず慣れていないのだと改めて実感しました。

一方、義両親と食事に行き、後日それが私の「ひな祭り」だったことが判明。
三十路も過ぎた私が「ひな祭り」というのは恥ずかしいと思うのです。
しかし、義両親の気持ちを思うと「祝ってもらえて有難い」と考えるようになりました。
そして以前の私ならば「祝ってもらって申し訳ない」「気を使わせて申し訳ない」「こんな私のためにお金を使うなんて…」と思っていたとも思うのです。

自己肯定感は数年前からすれば、間違いなく高まっている。
けれど、自分で思っているよりは高くない。
となると、世の中のフツーの人はどのくらい自己肯定的があるのでしょうか…?

回復の道を歩み始めた頃に読んだ本には「あなたは生きていて良い」「生まれてきてくれてありがとう」等々強い言葉が溢れていました。
そして回復の先には「私は生きていて良い」「人生ってスバラシイ!」と思える自分がいると考えていました。
しかし、私はきっとこのまま、あまり自己肯定感は高くないままで生きていくのだと思います。
根底にあるのは昏い感情。
この感情と適度に付き合っていけば、アディクション含めてあまり周囲に迷惑をかけずにいられる。



相変わらず酷い着付けだわ。
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