道の続く先

たまに更新します

終わってみればあっという間

先日は月一回の診察日。
今年最初の診察でした。

 

診察では6年半ぶりに会った母とのことを報告。

 

カウンセリングではここ数日のことを。

先日、親戚の結婚式があり参列してきました。
親戚とも15年ぐらい音信不通にしており、姉経由で出席要請が来ました。
最初は欠席しようかと考えましたが、これも何かの機会だと思い出席することにしました。
そこで6年半ぶりに母と顔を合わせました。

 

私が結婚すると決めた7年前。
主治医を立会人にして、母と話し合いをしました。
母自身にも問題があり、不器用にしか子供を育てられなかったのだろうと思える程度には私も大人になっていました。
ただし、母の彼氏が私にした虐待を母が黙認していたことについてはどうしても許すことはできなかった。
虐待の事実を母に伝えて1年以上経ってからの話し合いの場でした。
「気がついた時には注意していた」
「やめて欲しいと彼氏と話し合いをした」
「今更どうしろというのか⁉︎」
以前は虐待の事実を知らないと言っていた母は虐待を認識していたことを自白して、開き直りました。
私は絶縁することを決めました。
この話し合いで「あの時はごめんね」と一言でも言われていたら、母に結婚することを告げ、夫にも紹介していたと思います。
夫の両親にも母との関係修復は無理だと伝え、私の母はいないものとして親戚との関係も断ちました。

 

そんな中での親戚の結婚式。
とりあえず独身のフリをして出席してきました。
親戚と交流のある姉がだいぶ話をしていて、親戚は私が結婚していることも知っていましたが、私は母と断絶していること、連絡先はおろか結婚していることさえ母には伝えていないし伝えたくないことを正直に伝えました。
親戚はそんな私の現状を受け入れてくれました。

 

結婚式当日。
母の姿を視界に捉えた瞬間、背中が強張りました。近づいて来ると膝が震え出し奥歯がガタガタと鳴りました。
軽いパニック発作、フラッシュバックの初期症状。
泣いたらダメだ!とグッと涙を堪えて指先を動かし、お茶を飲んで今現在の自分を認識すると、少しずつ大人の自分を思い出して落ち着きました。
以前ならその大波に流されてしまっていましたが、今回は何とか現実に留まることができました。
今回は発作が起きるであろうと予測していたので、予め対処法を考えていきましたし、今までの訓練の効果があったと思います。
とはいえ、存在するだけで娘にパニック発作起こさせるとは相変わらずの母です。


当日までは胃が痛くなったり不安定になったりしたものの、行ってよかったと思いました。
退院して次の春で10年になります。
今だからこそ母と顔を合わせても大丈夫でしたし、親族の結婚も祝うことが出来た。
機会は与えられるもの。必要な時に必要なものが巡って来ると思っています。