道の続く先

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親を捨てること、諦めること

もうすぐ母の日。

結婚してから、母の日や父の日を苦も無く過ごしてる。

年中行事の一環ではあるものの、義務感や罪悪感と離れると、こんなにも楽なのかと思う。

 

 

実親にプレゼントを渡せば「こんなくだらないもの」と言われ、渡さなければ「大事にされてない」と嘆く姿を見せられる。

どちらにしても私は苦しくなるし、罪悪感に苛まれる。

私はそのうち何もしなくなったが、決して忘れたわけではなく、毎年息をひそめてその日が過ぎるのをじっと耐えていた気がする。

誕生日や母の日を祝えない自分を責めてしまうから。

世の中の人たちがなぜあんなにも親に対して感謝の言葉を言えるのか、まったく理解できなかった。

 

今は少し理解できる。

大事にしてもらえば、こちらも相手を大事にしたいと自然に思えたから。

夫の両親は私がどんなものを渡しても喜んでくれる。

普段からたくさんのもの(物理的にも精神的にも)を頂いているので、行事ごとぐらいお返ししたい!と自然に思えるようになった。

 

 

親を捨てる決心をしてから丸10年が過ぎた。

私は母の住所も連絡先も知らない。

それでいいと思っている。

 

姉は母と連絡をとっているので、たぶん親が死んだら連絡は来る。

(連絡しなくていいとは言ってある)

葬儀は行かない。

扶養義務の連絡が来ても、無理だと回答する。

 

周りは色々言うけれど、決めたら結構すっきりした。

 

良くも悪くも実の親子なので住所ぐらいは簡単に調べられるし、それは母も同じだけど、私はしない。

一時期は住民票の閲覧制限を掛けていたが、今はそれもしていない。

なぜ私が怯えて過ごさなければならないのかと思ったから。

今の私は小さくて無力な子供ではない。

一緒に戦ってくれる人も、守ってくれる人も、応援してくれる人もいるから。

 

 

薬物依存症になり、人格障害と診断を受けて、人生をドロップアウトしてもなを、私は母とやり直せるのではないかと思っていた時期もあった。

なんとかつかず離れずの距離ならやっていけるのでは? と淡い期待を抱いていた時がある。

幾度もトライして何度も「やっぱり無理」と絶望して、それでも「今度こそは!」と再度近づく。

何度も何度も絶望して、私はようやく諦めることができたのだと思う。

 

実親はいないと思ってしまうとすごく楽になった。

姉からは親の老後の心配だとか色々言われているが、独居老人も身内のいない人も世の中には沢山いて、行政や福祉がたぶんなんとかしてくれると思っている。

 

 

とても非情で自分は冷たい人間だと思う。

でもそれでいい。

 

普段は親のことを考えない。

考える時間がもったいなくて、親を捨てたのだから。

それでも時々悪夢にうなされ、フラッシュバックを起こす。

完全に忘れることはたぶんこれからもないのだと思う。