道の続く先

たまに更新します

家族の立場って大変だね

忘れた頃に診察記録。

 

9月

久しぶりの仲間と再会。とりあえず生きて会えるだけで嬉しいもの。

つらつらとおしゃべりしながら、近況の報告して、次の機会も会えるといいねと別れた。

診察は…何を話したかしら?

 

12月

いつのなら初夏に撮る記念撮影を、この日に撮影。

クリーン17年になっていました。

クリーン5年の頃は生きづらそうだったし、10年経ってようやく人生を楽しめるようになってきていた。

クリーン15年の頃はオタ活できるぐらいには元気になってる。

薬物や窃盗など大きな問題になるアディクションは止まっていたが、爪噛みや塩舐めなど細かいアディクションはクリーン15年を越えてようやく姿を消した。

今も自分はアディクトだと思っているし、破壊的な行動をとる可能性と背中合わせに生きている。

17年経ってもこうして通院や自助グループに通っているのは、これしかクリーンを続ける方法を知らないから。

離れてしまってスリップする話は耳にタコができるほど聞いているので、怖くて離れられなくなっているのかもしれません。

 

 

 

ここ数年義母の介護問題が出ており、この半年でようやく介護サービスを受けて少し状況が進みました。

私に介護義務はないし、同居しているわけでもないので強く言える立場ではないのですが、病を抱えた人の家族って大変だ!を実感しています。

当初、要介護者の義母はあまり強く意見を言こともなく、介護者の義父は病を受け入れられないう状況で、「さて、どうしたものか」と。

否認の病と言われる依存症患者である自分も身に覚えがありすぎる義父や息子である夫の言動に懐かしさを覚えながらも、「はやく現状を受け入れてくれないかなぁ」などと思うわけです。

ようやく義父も夫も現状を受け入れ始めて軌道に乗り始めたと思ったら、今度は遠隔地に住む義兄夫婦(義父母の息子)と弟夫婦(私たち)で意見が合わず、険悪な状態に。

私は「家族会に行かないとやってられないぜ!」と、家族会の偉大さを改めて実感したのでした。

自助グループに通っているのと自分の話をしたり、家族会があることは普通ですが、健全に生きてきた人たちは話す場所が少なくて、このような状況の時大変だなとも思いました。