道の続く先

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風薫る五月は快適

先週は月一回の診察日。
GWが過ぎてから汗ばむ日も続いていましたが、さすが山の上。
陽射しも気温も風も、風薫る五月とはまさにこのこと。
爽やかで快適な一日でした。

診察では主治医の文字の読解。
カルテに書いてある文字が分からなくなり、二人で推理する事態に。
少し前に主治医の引退説が出回ったので、一応真偽の程を確かめてきました。
「まだ引退にははやいかなぁ」
というのが主治医のお答えでした。
趣味のしすぎで腱鞘炎起こすくらいには元気らしいです。

カウンセリングでは姉との関係について。
母親からの影響度が私よりも姉の方が大きいと思っていると姉に伝えたら、姉がとても驚いていました。
私は人生の破綻が早い段階でやって来ただけで、生きづらさという点では姉もあまり変わらないと思っています。
人生が破綻していない分、私から見ると姉が苦しそうにも見えるのです。
(破綻した方がいいというわけではありませんが)
苦しそうな姉の姿を見るとかつての自分を見るようで、早く楽になれたらいいのにと思う一方、もどかしさも覚えます。
「でも〜」「だって〜」と言い訳ばかりを私もしていましたので。



覚書
伊勢木綿の長着、紺の名古屋帯、レースの羽織、三分紐


時期を逸した桜と雪

すっかり忘れていたわ。
今月の診察記録。
診察日は4月上旬。
山の上の病院に向かう途中から、一面真っ白に。まさかの雪でした。
山の麓は桜が散っていましたし、山の上でも桜は咲いていましたので。

この4月で退院して丸8年となりました。
8年前の退院時、帰るべき家も待つ人もいなく、ダンボール箱2つに旅行カバン1つとビニール傘1本が全財産。
山の上の病院の桜はまだ蕾で、電車を待つ麓の町は満開でした。
まともに電車すら乗れなかったあの頃。
そろそろ時間の経過を数えなくても良い気もしますが、当分はやめられそうにありません。

診察は相変わらず。
主治医が忙しいという愚痴を聞いてきました。

カウンセリングでは、恒例・春の絶不調について。
2月後半からGW頃までいつも以上に不調が続きます。
寒暖差や花粉、紫外線量の増加など不調になり易い要因が重なることも大きいと思います。
先日も思考が腐り過ぎて冷蔵庫を抱えて泣く羽目になったり、相方さんに八つ当たりしてみたりと、通常運転と言えばそれまでですが。

料理を作る度にフラッシュバックを起こしていると指摘されて以後、料理をすることに無理をしないようにはしてきました。
それでも「出来て当たり前」という思考が「出来ない自分」を責め立てる。
頑張っても出来ないのに、出来るはずだと理想を追う。
現実はやはり出来ない自分しかいなくて、理想と現実との差を受け入れ難い。
結果として冷蔵庫を抱えて大泣きする事態になり、相方さんに心配をかけてしまいました。


伊勢木綿は着易くて好きです。
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冬が終わるというより春が来てしまう

先週は月一回の診察日。
山の上の病院は快晴でした。

診察は相変わらず。
相変わらず過ぎて何を話したかしら…?

カウンセリングでは、自己肯定感の話。
この前、久しぶりに独りで遊びに出掛けた反動で、体調を崩しました。
遊んでいる時は純粋に楽しかったのですが、時間が経つほど「楽しんでしまった」と罪悪感が出てくるのです。
自分のための楽しい時間を過ごすことは相変わらず慣れていないのだと改めて実感しました。

一方、義両親と食事に行き、後日それが私の「ひな祭り」だったことが判明。
三十路も過ぎた私が「ひな祭り」というのは恥ずかしいと思うのです。
しかし、義両親の気持ちを思うと「祝ってもらえて有難い」と考えるようになりました。
そして以前の私ならば「祝ってもらって申し訳ない」「気を使わせて申し訳ない」「こんな私のためにお金を使うなんて…」と思っていたとも思うのです。

自己肯定感は数年前からすれば、間違いなく高まっている。
けれど、自分で思っているよりは高くない。
となると、世の中のフツーの人はどのくらい自己肯定的があるのでしょうか…?

回復の道を歩み始めた頃に読んだ本には「あなたは生きていて良い」「生まれてきてくれてありがとう」等々強い言葉が溢れていました。
そして回復の先には「私は生きていて良い」「人生ってスバラシイ!」と思える自分がいると考えていました。
しかし、私はきっとこのまま、あまり自己肯定感は高くないままで生きていくのだと思います。
根底にあるのは昏い感情。
この感情と適度に付き合っていけば、アディクション含めてあまり周囲に迷惑をかけずにいられる。



相変わらず酷い着付けだわ。
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2月の診察

先週は月一回の診察日。
2月というのにあまり寒くない日が続いています。
 
今回の診察では主治医から驚きの報告が。
 
主治医『知ってる?この前手術したんだよ〜』
私『は?』
 
身体中ガタがきているのは主治医の年齢を考えれば当然のことで、いつまでも若いわけではないのよね。
 
 
 
カウンセリングでは思考の変化について。
相方さんの飲み会関連。
 
自分が過去に囚われていると気付いたこのとき
 
気付いてなお悪足掻きしたこのとき
 
自分の中の本音に目を向けることができたこのとき
 
そして今回。
この前、相方さんが飲み会に行った時。
相変わらず明け方まで飲んで帰宅。
身体から立ち昇るお酒の臭いに私はとても寝ていられず。
相方さんの身体から脱いだ服からお酒の臭いがして、結果家中お酒臭いという事態に。
今回の私は「家中のお酒の臭いが消えるまで家には帰りません」とメールをし、近くの喫茶店で朝ごはん食べてきました。
怒らなかったと言えば嘘になりますが、以前のように激昂するようなことはありませんでした。
 
相方さんは変わらない。
それでも以前と違う行動が取れたこと、自分の気持ちが大きく違うことは間違いありません。
 
怒ることと感情的に激昂することとの違いも、自分の中では大きな違いでした。
 
 
 
今月の着物覚書。
薄ピンクの袷、岡重の帯、雪あられの羽織。
 

今年最初の山の上

先週は今年最初の診察。

『もうね、忙しくてねぇ…』と主治医の愚痴を聞く為の診察でした。

カウンセリングでは自己肯定感の話。
「好かれたい」よりも「嫌われたくない」と思う自分の思考回路を再確認。
以前に比べれば見捨てられ不安もだいぶ薄らいだものの、根底にある部分はあまり変わっていない。
それでも以前と違うのは、いきなり不健全な行動をしなかったこと。
更には診察やミーティングなどを自らの選択肢の中にもっていること。
昨年最後の診察に至った経緯については、カウンセラーさんやワーカーさんに褒めてもらいました。

以前と違う行動を取ること。
気持ちでは納得できなくても、それが良い選択だと思えなくても、とにかく以前と違う行動をすること。
それが新しい生き方へと繋がる…と信じることしか出来ないのだから。



まだ小正月前だったので、お正月モード。
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今度こそ今年最後

先週、これが今年最後の診察〜♪と思っていたのですが、今週になってから調子が急降下。
思考がおかしな方向に傾いている自覚があったところで、ドラマを観てフラッシュバックを起こしてトドメとなりました。

今日は半休をもらって診察へ。
いつもは山の上の病院ですが、今日は主治医が別の病院にいるのでそちらに。
山の上の病院での診察は時間に追われているのであまりゆっくり出来ず、本当に最低限しか話をしていません。
今日は病院が違うこともあり、かなりゆっくり甘えてきました。

自分の抱える昏い感情は、底に広がったまま無くなったわけではありません。
いつだって死にたがる自分が顔を出そうとします。
自己否定、卑下し、自分は価値がない。
昔の生き方にすぐに戻ろうとする。
今いる足場が脆く危ういことを自覚するのです。

本当はミーティングが足りない。
仲間との会話が足りない。
分かっていても実行していない。怠惰な自分。
自己肯定は毎日注がないと、あっという間に底をつくのに。

自傷行為をしたい。
自分では死ねなくてこうして生きてしまっている。
苦しくないと生きていて良いと思えない。

生きたいのか死にたいのかやっぱり分からないけれど、死んでしまえと囁く自分がいるのも事実。


こうしたぐるぐるした思考が、危険だと自覚できる程度にはまだ正気が残っていたので、新幹線に乗って主治医に会いに行くのです。

悪夢は止まず、思考もおかしなまま。
そんな私に主治医は言うのです。
『そういうのはね、大事に持っておきなさい』と。


大事にすると孵化でもしますかねぇ…



自分が苦しくて診察に行ったのに、まさかこっちの病院でも働かされるとは思わなかったですよ。


今年最後の診察

先週は山の上の病院に年内最後の診察へ。
お久しぶりの仲間との再会があったりして、嬉しい時間でした。

診察は相変わらず近況報告。
そして珍しく主治医の口から『ダメ』という言葉を聞きました。
主治医が否定的なことを言う時は、『やめたほうがいいんじゃないかな』とか『あまりおすすめしないよ』などの言い回しが多いので、はっきり『ダメ』と言うことはほとんどありません。
ですので、珍しくはっきり『ダメ』と言われたので少し驚きました。


カウンセリングでは「お世話」について。
先日、相方さんが怪我をしまして、日常生活に支障がでました。
今はもうすっかり良くなったのですが、怪我をした当初は何から何まで相方さんの世話をしなければならないと思い込んでいました。
それがとても辛くて。
普段家事は分担しているので、必然的に私が全てやることに。
そして「何から何まで」とは相方さんの靴下を履かせることや、歯磨きに至るまで私がしなくては‼︎と思っていたのです。
「優飛さんの考えているのは看病ではなくて、介護だね!」
とはカウンセラーさんの言。

3日目でイライラが止まなくなり、4日目に先行く仲間にヘルプの電話をしました。
看病とかされた記憶がないから、どのようにすればよいのか加減が分からずに、軽いパニックになっていたことに気づいたのは後になってからのことでした。



相方さんのお母さんから頂いた着物。
どこに行っても評判良いです。
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性格の捉え方

先週は月一回の診察日。
すっかり秋が深まった山の上の病院は、暖房がしっかり入っていて暑いぐらいでした。

診察は…何を話したかしら?

カウンセリングでは先日行った心理分析について。
自分が思っているよりも、顕著に分析結果が出ました。
より過激に、というべきか。
回復の道を歩きはじめて、だいぶ人間らしくなってきた気がしていたのですが、それでもこの結果かと思うと先は長いですな。


今回はデパートの紙袋。

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依存する癖に続かない

先週は月一回の診察日。
諸事情により診察が二分割で行われました。
「まだ終わってないけど、時間ないからまた後で!」と診察室を追い出される経験は滅多に出来ることではないと思います。

カウンセリングでは自分の性格について。
何事も続かない性分で、色々な嗜癖に手を出しては依存症になりましたが…飽き性というかなんというか。
何をしても続かないんですよね。
もちろん病気以外の部分でもそうで、習い事も仕事も、まともに続かないし終われない。
「終わり」のケジメを自分で付けるのも苦手なのだと思います。


今月、来月とアディクション関係で隣県まで出掛ける用事が出来ました。
一時期は、病気から離れたくて、でも離れては生きていけないことに愕然としたこともありました。
今は離れない方が生きていきやすい気がしています。



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撫子の季節がいつまでなのが分からないまま着ている着物。