道の続く先

たまに更新します

冬が終わるというより春が来てしまう

先週は月一回の診察日。
山の上の病院は快晴でした。

診察は相変わらず。
相変わらず過ぎて何を話したかしら…?

カウンセリングでは、自己肯定感の話。
この前、久しぶりに独りで遊びに出掛けた反動で、体調を崩しました。
遊んでいる時は純粋に楽しかったのですが、時間が経つほど「楽しんでしまった」と罪悪感が出てくるのです。
自分のための楽しい時間を過ごすことは相変わらず慣れていないのだと改めて実感しました。

一方、義両親と食事に行き、後日それが私の「ひな祭り」だったことが判明。
三十路も過ぎた私が「ひな祭り」というのは恥ずかしいと思うのです。
しかし、義両親の気持ちを思うと「祝ってもらえて有難い」と考えるようになりました。
そして以前の私ならば「祝ってもらって申し訳ない」「気を使わせて申し訳ない」「こんな私のためにお金を使うなんて…」と思っていたとも思うのです。

自己肯定感は数年前からすれば、間違いなく高まっている。
けれど、自分で思っているよりは高くない。
となると、世の中のフツーの人はどのくらい自己肯定的があるのでしょうか…?

回復の道を歩み始めた頃に読んだ本には「あなたは生きていて良い」「生まれてきてくれてありがとう」等々強い言葉が溢れていました。
そして回復の先には「私は生きていて良い」「人生ってスバラシイ!」と思える自分がいると考えていました。
しかし、私はきっとこのまま、あまり自己肯定感は高くないままで生きていくのだと思います。
根底にあるのは昏い感情。
この感情と適度に付き合っていけば、アディクション含めてあまり周囲に迷惑をかけずにいられる。



相変わらず酷い着付けだわ。
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2月の診察

先週は月一回の診察日。
2月というのにあまり寒くない日が続いています。
 
今回の診察では主治医から驚きの報告が。
 
主治医『知ってる?この前手術したんだよ〜』
私『は?』
 
身体中ガタがきているのは主治医の年齢を考えれば当然のことで、いつまでも若いわけではないのよね。
 
 
 
カウンセリングでは思考の変化について。
相方さんの飲み会関連。
 
自分が過去に囚われていると気付いたこのとき
 
気付いてなお悪足掻きしたこのとき
 
自分の中の本音に目を向けることができたこのとき
 
そして今回。
この前、相方さんが飲み会に行った時。
相変わらず明け方まで飲んで帰宅。
身体から立ち昇るお酒の臭いに私はとても寝ていられず。
相方さんの身体から脱いだ服からお酒の臭いがして、結果家中お酒臭いという事態に。
今回の私は「家中のお酒の臭いが消えるまで家には帰りません」とメールをし、近くの喫茶店で朝ごはん食べてきました。
怒らなかったと言えば嘘になりますが、以前のように激昂するようなことはありませんでした。
 
相方さんは変わらない。
それでも以前と違う行動が取れたこと、自分の気持ちが大きく違うことは間違いありません。
 
怒ることと感情的に激昂することとの違いも、自分の中では大きな違いでした。
 
 
 
今月の着物覚書。
薄ピンクの袷、岡重の帯、雪あられの羽織。
 

今年最初の山の上

先週は今年最初の診察。

『もうね、忙しくてねぇ…』と主治医の愚痴を聞く為の診察でした。

カウンセリングでは自己肯定感の話。
「好かれたい」よりも「嫌われたくない」と思う自分の思考回路を再確認。
以前に比べれば見捨てられ不安もだいぶ薄らいだものの、根底にある部分はあまり変わっていない。
それでも以前と違うのは、いきなり不健全な行動をしなかったこと。
更には診察やミーティングなどを自らの選択肢の中にもっていること。
昨年最後の診察に至った経緯については、カウンセラーさんやワーカーさんに褒めてもらいました。

以前と違う行動を取ること。
気持ちでは納得できなくても、それが良い選択だと思えなくても、とにかく以前と違う行動をすること。
それが新しい生き方へと繋がる…と信じることしか出来ないのだから。



まだ小正月前だったので、お正月モード。
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今度こそ今年最後

先週、これが今年最後の診察〜♪と思っていたのですが、今週になってから調子が急降下。
思考がおかしな方向に傾いている自覚があったところで、ドラマを観てフラッシュバックを起こしてトドメとなりました。

今日は半休をもらって診察へ。
いつもは山の上の病院ですが、今日は主治医が別の病院にいるのでそちらに。
山の上の病院での診察は時間に追われているのであまりゆっくり出来ず、本当に最低限しか話をしていません。
今日は病院が違うこともあり、かなりゆっくり甘えてきました。

自分の抱える昏い感情は、底に広がったまま無くなったわけではありません。
いつだって死にたがる自分が顔を出そうとします。
自己否定、卑下し、自分は価値がない。
昔の生き方にすぐに戻ろうとする。
今いる足場が脆く危ういことを自覚するのです。

本当はミーティングが足りない。
仲間との会話が足りない。
分かっていても実行していない。怠惰な自分。
自己肯定は毎日注がないと、あっという間に底をつくのに。

自傷行為をしたい。
自分では死ねなくてこうして生きてしまっている。
苦しくないと生きていて良いと思えない。

生きたいのか死にたいのかやっぱり分からないけれど、死んでしまえと囁く自分がいるのも事実。


こうしたぐるぐるした思考が、危険だと自覚できる程度にはまだ正気が残っていたので、新幹線に乗って主治医に会いに行くのです。

悪夢は止まず、思考もおかしなまま。
そんな私に主治医は言うのです。
『そういうのはね、大事に持っておきなさい』と。


大事にすると孵化でもしますかねぇ…



自分が苦しくて診察に行ったのに、まさかこっちの病院でも働かされるとは思わなかったですよ。


今年最後の診察

先週は山の上の病院に年内最後の診察へ。
お久しぶりの仲間との再会があったりして、嬉しい時間でした。

診察は相変わらず近況報告。
そして珍しく主治医の口から『ダメ』という言葉を聞きました。
主治医が否定的なことを言う時は、『やめたほうがいいんじゃないかな』とか『あまりおすすめしないよ』などの言い回しが多いので、はっきり『ダメ』と言うことはほとんどありません。
ですので、珍しくはっきり『ダメ』と言われたので少し驚きました。


カウンセリングでは「お世話」について。
先日、相方さんが怪我をしまして、日常生活に支障がでました。
今はもうすっかり良くなったのですが、怪我をした当初は何から何まで相方さんの世話をしなければならないと思い込んでいました。
それがとても辛くて。
普段家事は分担しているので、必然的に私が全てやることに。
そして「何から何まで」とは相方さんの靴下を履かせることや、歯磨きに至るまで私がしなくては‼︎と思っていたのです。
「優飛さんの考えているのは看病ではなくて、介護だね!」
とはカウンセラーさんの言。

3日目でイライラが止まなくなり、4日目に先行く仲間にヘルプの電話をしました。
看病とかされた記憶がないから、どのようにすればよいのか加減が分からずに、軽いパニックになっていたことに気づいたのは後になってからのことでした。



相方さんのお母さんから頂いた着物。
どこに行っても評判良いです。
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性格の捉え方

先週は月一回の診察日。
すっかり秋が深まった山の上の病院は、暖房がしっかり入っていて暑いぐらいでした。

診察は…何を話したかしら?

カウンセリングでは先日行った心理分析について。
自分が思っているよりも、顕著に分析結果が出ました。
より過激に、というべきか。
回復の道を歩きはじめて、だいぶ人間らしくなってきた気がしていたのですが、それでもこの結果かと思うと先は長いですな。


今回はデパートの紙袋。

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依存する癖に続かない

先週は月一回の診察日。
諸事情により診察が二分割で行われました。
「まだ終わってないけど、時間ないからまた後で!」と診察室を追い出される経験は滅多に出来ることではないと思います。

カウンセリングでは自分の性格について。
何事も続かない性分で、色々な嗜癖に手を出しては依存症になりましたが…飽き性というかなんというか。
何をしても続かないんですよね。
もちろん病気以外の部分でもそうで、習い事も仕事も、まともに続かないし終われない。
「終わり」のケジメを自分で付けるのも苦手なのだと思います。


今月、来月とアディクション関係で隣県まで出掛ける用事が出来ました。
一時期は、病気から離れたくて、でも離れては生きていけないことに愕然としたこともありました。
今は離れない方が生きていきやすい気がしています。



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撫子の季節がいつまでなのが分からないまま着ている着物。


今年は涼しくて良い

先週は月一回の診察日。

9月に入ってすっかり涼しくなりました。

涼しくなって身体が楽になってきたためか、調子があがってきました。

毎年9月~10月は元気になるのは、気候のせいだと思っています。


主治医との診察では相変わらず。

この前仲間と遊んだことを報告。

私のカルテには仲間の近況ばかり書いてある気がします。

 

カウンセリングでは、母の私たち姉妹に対する態度の違いについて。

同じ親の元に育ってきた姉と私は、現在真逆な環境にいます。

私は20代のうちに人生崩壊してしまったものの、今は母と距離を置き心の平安を取り戻している。

一方姉は10代のうちから母から離れるように家を出たものの、現在は母のそばに暮し母に振り回されている。

母からの虐待は、私よりも姉のほうが酷かったはずです。

姉と母との関係を振り返ることで、私と母との関係を見直すきっかけになりました。

母は無意識に長女は搾取用、次女は愛玩用としていたのだと思います。

 

朝晩は肌寒いくらいでもあるので、レースの羽織を引っ張りだしました。

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地域によって違います

月一回の診察日。
世の中お盆のため、電車もかなり混んでいましたが、無事に診察に行くことができました。

主治医との面談は相変わらず。
しつこく子供を催促されましたが、出来たら言うから黙ってて欲しいものです。
確かに主治医は親代わりですが、こんなところまで親代わりにならなくていいのです。

カウンセリングでは先日あった自傷行為の衝動について。
自分で自覚していた原因より、別の言葉の方がトリガーだったことに気づきました。
母親によく似た人と話したことでフラッシュバックした為に、情緒不安定になったと自分では思っていたのです。
しかしよくよく自分の行動を振り返ってみると、その後周囲の人から「あなたの対応が間違っていたのでは?」と言われた方が苦しかったのです。
カウンセラーさんに一連の経緯を話しながら自分の癒されていない部分が明確になった気がします。


まぁ、本音は自分でも分からない、ということを再確認しただけとも。


お盆はお墓参り。
地域によって風習が違うことは興味深いことであります。

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