気温の変化は少ない方がいい
先日は月一回の診察日
湿度が高くて髪のうねりが止まらないです。
診察はいつも通り。
結構な頻度で「旦那イジメていない?」と訊かれます。
どれだけ暴君だと思われているのかしら?
先月は誕生日でしたので、誕生日プレゼントとして主治医からの握手を頂きました。
カウンセリングでは立場の変化について。
ここしばらくは姉夫婦との距離感が課題でした。
自分のスタンスがハッキリしてみると、病気の人の家族としての見方ができるようになってきました。
ずっと当事者の立場でしたので、ちょっぴり新鮮。
夏帯は軽くて快適ですな。
優等生より問題児がいい
先日は月一回の診察日。
癒されていると思っていた部分が、実はまだ癒されていなかったと思い知る。
山の上でも陽射しがきつくなってきました。
先月預けた診断書が一ヶ月経っても出来上がっていなかったので、せっついて書いてもらってきました。
前回の診断書と見比べながらも
「だいぶ頑張ったね!」
とのお言葉を頂きました。
主治医の患者の中では優等生に分類される私ですが、それはそれで少し淋しさも覚えます。
症状が酷いほど主治医を独占出来ると勘違いしてしまう、おかしな思考があるのです。
親の目をこちらに向ける為にイタズラする子どものように。
思考はなかなか改善しませんな。
とはいえ、そろそろ障害者手帳の審査が通らなくなるといいなと思います。
カウンセリングでは姉との距離感について。
姉夫婦が最近不穏な気配を漂わせているので、いかにして自身の心の平安を保つかが課題です。
根の深さを再確認。
今回は何故かよく褒められた。
風薫る五月は快適
先週は月一回の診察日。
GWが過ぎてから汗ばむ日も続いていましたが、さすが山の上。
陽射しも気温も風も、風薫る五月とはまさにこのこと。
爽やかで快適な一日でした。
診察では主治医の文字の読解。
カルテに書いてある文字が分からなくなり、二人で推理する事態に。
少し前に主治医の引退説が出回ったので、一応真偽の程を確かめてきました。
「まだ引退にははやいかなぁ」
というのが主治医のお答えでした。
趣味のしすぎで腱鞘炎起こすくらいには元気らしいです。
カウンセリングでは姉との関係について。
母親からの影響度が私よりも姉の方が大きいと思っていると姉に伝えたら、姉がとても驚いていました。
私は人生の破綻が早い段階でやって来ただけで、生きづらさという点では姉もあまり変わらないと思っています。
人生が破綻していない分、私から見ると姉が苦しそうにも見えるのです。
(破綻した方がいいというわけではありませんが)
苦しそうな姉の姿を見るとかつての自分を見るようで、早く楽になれたらいいのにと思う一方、もどかしさも覚えます。
「でも〜」「だって〜」と言い訳ばかりを私もしていましたので。
覚書
時期を逸した桜と雪
すっかり忘れていたわ。
今月の診察記録。
診察日は4月上旬。
山の上の病院に向かう途中から、一面真っ白に。まさかの雪でした。
山の麓は桜が散っていましたし、山の上でも桜は咲いていましたので。
この4月で退院して丸8年となりました。
8年前の退院時、帰るべき家も待つ人もいなく、ダンボール箱2つに旅行カバン1つとビニール傘1本が全財産。
山の上の病院の桜はまだ蕾で、電車を待つ麓の町は満開でした。
まともに電車すら乗れなかったあの頃。
そろそろ時間の経過を数えなくても良い気もしますが、当分はやめられそうにありません。
診察は相変わらず。
主治医が忙しいという愚痴を聞いてきました。
カウンセリングでは、恒例・春の絶不調について。
2月後半からGW頃までいつも以上に不調が続きます。
寒暖差や花粉、紫外線量の増加など不調になり易い要因が重なることも大きいと思います。
先日も思考が腐り過ぎて冷蔵庫を抱えて泣く羽目になったり、相方さんに八つ当たりしてみたりと、通常運転と言えばそれまでですが。
料理を作る度にフラッシュバックを起こしていると指摘されて以後、料理をすることに無理をしないようにはしてきました。
それでも「出来て当たり前」という思考が「出来ない自分」を責め立てる。
頑張っても出来ないのに、出来るはずだと理想を追う。
現実はやはり出来ない自分しかいなくて、理想と現実との差を受け入れ難い。
結果として冷蔵庫を抱えて大泣きする事態になり、相方さんに心配をかけてしまいました。
伊勢木綿は着易くて好きです。
冬が終わるというより春が来てしまう
先週は月一回の診察日。
山の上の病院は快晴でした。
診察は相変わらず。
相変わらず過ぎて何を話したかしら…?
カウンセリングでは、自己肯定感の話。
この前、久しぶりに独りで遊びに出掛けた反動で、体調を崩しました。
遊んでいる時は純粋に楽しかったのですが、時間が経つほど「楽しんでしまった」と罪悪感が出てくるのです。
自分のための楽しい時間を過ごすことは相変わらず慣れていないのだと改めて実感しました。
一方、義両親と食事に行き、後日それが私の「ひな祭り」だったことが判明。
三十路も過ぎた私が「ひな祭り」というのは恥ずかしいと思うのです。
しかし、義両親の気持ちを思うと「祝ってもらえて有難い」と考えるようになりました。
そして以前の私ならば「祝ってもらって申し訳ない」「気を使わせて申し訳ない」「こんな私のためにお金を使うなんて…」と思っていたとも思うのです。
自己肯定感は数年前からすれば、間違いなく高まっている。
けれど、自分で思っているよりは高くない。
となると、世の中のフツーの人はどのくらい自己肯定的があるのでしょうか…?
回復の道を歩み始めた頃に読んだ本には「あなたは生きていて良い」「生まれてきてくれてありがとう」等々強い言葉が溢れていました。
そして回復の先には「私は生きていて良い」「人生ってスバラシイ!」と思える自分がいると考えていました。
しかし、私はきっとこのまま、あまり自己肯定感は高くないままで生きていくのだと思います。
根底にあるのは昏い感情。
この感情と適度に付き合っていけば、アディクション含めてあまり周囲に迷惑をかけずにいられる。
相変わらず酷い着付けだわ。
2月の診察
先週は月一回の診察日。
2月というのにあまり寒くない日が続いています。
今回の診察では主治医から驚きの報告が。
主治医『知ってる?この前手術したんだよ〜』
私『は?』
身体中ガタがきているのは主治医の年齢を考えれば当然のことで、いつまでも若いわけではないのよね。
カウンセリングでは思考の変化について。
相方さんの飲み会関連。
自分が過去に囚われていると気付いたこのとき。
気付いてなお悪足掻きしたこのとき。
自分の中の本音に目を向けることができたこのとき。
そして今回。
この前、相方さんが飲み会に行った時。
相変わらず明け方まで飲んで帰宅。
身体から立ち昇るお酒の臭いに私はとても寝ていられず。
相方さんの身体から脱いだ服からお酒の臭いがして、結果家中お酒臭いという事態に。
今回の私は「家中のお酒の臭いが消えるまで家には帰りません」とメールをし、近くの喫茶店で朝ごはん食べてきました。
怒らなかったと言えば嘘になりますが、以前のように激昂するようなことはありませんでした。
相方さんは変わらない。
それでも以前と違う行動が取れたこと、自分の気持ちが大きく違うことは間違いありません。
怒ることと感情的に激昂することとの違いも、自分の中では大きな違いでした。
今月の着物覚書。
薄ピンクの袷、岡重の帯、雪あられの羽織。
今年最初の山の上
先週は今年最初の診察。
『もうね、忙しくてねぇ…』と主治医の愚痴を聞く為の診察でした。
カウンセリングでは自己肯定感の話。
「好かれたい」よりも「嫌われたくない」と思う自分の思考回路を再確認。
以前に比べれば見捨てられ不安もだいぶ薄らいだものの、根底にある部分はあまり変わっていない。
それでも以前と違うのは、いきなり不健全な行動をしなかったこと。
更には診察やミーティングなどを自らの選択肢の中にもっていること。
昨年最後の診察に至った経緯については、カウンセラーさんやワーカーさんに褒めてもらいました。
以前と違う行動を取ること。
気持ちでは納得できなくても、それが良い選択だと思えなくても、とにかく以前と違う行動をすること。
それが新しい生き方へと繋がる…と信じることしか出来ないのだから。
まだ小正月前だったので、お正月モード。
謹賀新年
あけましておめでとうございます
本年もよろしくお願いします。
今年もたぶん月一の更新だと思いますが、ぼちぼちとやっていきます。
今度こそ今年最後
先週、これが今年最後の診察〜♪と思っていたのですが、今週になってから調子が急降下。
思考がおかしな方向に傾いている自覚があったところで、ドラマを観てフラッシュバックを起こしてトドメとなりました。
今日は半休をもらって診察へ。
いつもは山の上の病院ですが、今日は主治医が別の病院にいるのでそちらに。
山の上の病院での診察は時間に追われているのであまりゆっくり出来ず、本当に最低限しか話をしていません。
今日は病院が違うこともあり、かなりゆっくり甘えてきました。
自分の抱える昏い感情は、底に広がったまま無くなったわけではありません。
いつだって死にたがる自分が顔を出そうとします。
自己否定、卑下し、自分は価値がない。
昔の生き方にすぐに戻ろうとする。
今いる足場が脆く危ういことを自覚するのです。
本当はミーティングが足りない。
仲間との会話が足りない。
分かっていても実行していない。怠惰な自分。
自己肯定は毎日注がないと、あっという間に底をつくのに。
自傷行為をしたい。
自分では死ねなくてこうして生きてしまっている。
苦しくないと生きていて良いと思えない。
生きたいのか死にたいのかやっぱり分からないけれど、死んでしまえと囁く自分がいるのも事実。
こうしたぐるぐるした思考が、危険だと自覚できる程度にはまだ正気が残っていたので、新幹線に乗って主治医に会いに行くのです。
悪夢は止まず、思考もおかしなまま。
そんな私に主治医は言うのです。
『そういうのはね、大事に持っておきなさい』と。
大事にすると孵化でもしますかねぇ…
自分が苦しくて診察に行ったのに、まさかこっちの病院でも働かされるとは思わなかったですよ。