道の続く先

たまに更新します

やっつけだな

前回(9月)の通院記録。
また次の診察日の直前に前回の診察記録を書いている。


所用のため朝から街中をぐるぐると歩き回る。
徒歩圏内に色々ある都会は素晴らしい!
久しぶりに仲間とランチをし、一緒に自助グループにも参加。

診察は仲間の話をして私のカルテに私の現況ではなく仲間の現況が書かれる状態。

夜は義兄夫婦と食事。
新幹線の時間がいつもより早かったこともあり、バタバタと帰ってきました。

滞在時間と移動時間が同じ

先日は診察日でした。
それも7月の話…もう次回の診察日が迫ってきています。
とはいえ一応診察記録なので。
いつもと違うペースでの通院だった為自助グループにもいかず、午前中に仕事をして午後から診察に行きました。

診察では借りていたデータの返却と仲間の話。
主治医を介して仲間の安否を聞く。
ただそれだけ。

待合で経験をシェアする仲間達の姿に少し懐かしさを覚えました。
自分のやってきたこと、家族にさえ言えないことを隠さずに言える場所があることが、回復の道を歩み始めたばかりの時にはどれほどの心強く感じたことか。
今は当時ほど切羽詰まって(笑)おりませんが、それでもそういう場所があることが安心感に繋がっています。

主治医は一番の味方ではなかった?

先日は2ヶ月に一度の診察日。
今回は朝から診察以外に用事があり、早朝から街をウロウロ。
結局診察時間ギリギリにクリニックに駆け込むことになりました。

診察ではGWに起きた家出騒ぎについて。
一通り話を聞いた主治医の口からは「旦那が良く頑張っているね」とのこと。
今回の私の怒りは正当だ! と信じて疑わなかった私は目からウロコ。
そこそこ喧嘩して、そこそこ文句もありながら致命的な問題は勃発していないので、夫の寛大さと努力のおかげで平和が保たれているのは確かですが。
どうやら主治医は夫の味方のようです。

次回は来月。

今回はずっと汚い話

同僚と飲みに出かけた夫が帰宅後、寝ながら嘔吐しました。
翌朝には義兄夫婦が帰省する予定で、夫自身が運転手を買って出ていました。私は遅くまで飲むのならば運転はさせられないと言って飲み会へ送り出しました。
夫は23時に「早く帰ってきたよ☆」的な雰囲気で帰宅。
深夜、嘔吐の音で私が目覚めると、吐瀉物に顔を埋めている夫がいました。
とりあえず窒息しないよう体勢を変えて体を揺するものの起きず。
寝ゲロする夫を見たら見事にフラッシュバックしました。
酔って不機嫌になっている母、酔って吐きそうな母を介抱している私、起こしても起きない母。
また夫と母の区別がつかなくなってしまいました。
このままでは良くないと思い、叩き起こした夫を置き去りに私は近所のネカフェへ家出。

 

吐くまで飲むなんて信じられない!
しかも翌日義兄夫婦(夫から見たら実兄夫婦)が帰省すると分かっているのに!
何度も酔っ払いは嫌いだと言ってきたのにまだ理解しないのか!

 

噴き出る怒りが止まらなくて、結局避難したネカフェでも一睡もできずに朝を迎えました。
義兄夫婦も来るし…と、とりあえず着替えに自宅に戻ると汚した布団と部屋を掃除する夫がいました。
でもまだ吐いてる。あれ?
「昨日の飲み会、なに食べた?」
「…レバ刺し」
「それ食中毒だね」

 

泥酔による嘔吐だと思っていたら単なる食中毒だよ!
吐き方が酔っ払いのとは違うじゃねぇか!
見捨てて家出た私、ものすごく冷たい妻じゃない!
というか翌日予定あるのに、自己責任の塊を食べるんじゃないよ!

 

それまでの夫のみを責める気持ちから一転、冷静に現実を受け入れられるようになりました。
今回は落ち着けたの良いものの、そのうち夫を見殺しにするのではないかとも感じました。
一応安全性を確保した上で家を出たつもりではありますが。

1ヶ月も前の話

忘れてた。
先月は2ヶ月に一度の診察日。
また記録忘れるところでした。
この日は朝から予定が詰まっており、街を西へ東へ行ったり来たり。

 

予定より早く病院へ着いたら7年?8年?ぶりの仲間達とばったり。
自助グループが立ち上がったばかりの頃の仲間で、数少ない仲間達と色々と分かち合った時間を思い出してとても懐かしくなりました。
みんな病からは遠ざかって時間が経つものの、こうして病院や自助グループからは離れられない。
きっと世の中には病院にも自助グループにも通わずにアディクションが再発せずにいる人もいるのでしょう。
私はそうではないけれど。

診察はお疲れモードの主治医を労わるところからスタート。
診断書が必要になったのでお願いしたら、次回(6月)までには…と仰る。
メッチャやる気ない。
こちらは特に変化はなかったのでいつもの定時報告。
変化がないことは大事なこと。

 

夜は義兄夫婦と食事。
若くて沢山食べると思われて、嬉しいような悲しいような。

忘れたわけではない

先日は2ヶ月に一度の診察日。
今回は自助グループ参加後の診察。
数年ぶりに自助グループに参加して、やはり自分はアディクトなのだと再確認しました。
とてもリラックス出来ました。

診察では自助グループについてと現状報告をして、主治医の行動予定を聞く。
趣味を楽しむためにお仕事を頑張る主治医でなにより。
タフでなければ精神科医なんてやっていられないのかもしれません。

年末の不調が嘘のように穏やかな日常が戻ってきました。
この穏やかな日常は薄氷の上に成り立つ危ういものだという認識が薄れていたのかもしれません。
決して忘れたわけでなくても、疎かにしたつもりもありませんでした。
一見、普通の人のようなことが出来ていても、それはそのように見えているだけなので。
やはり自助グループ行かないとダメなんだなぁと再認識です。

大晦日になってしまった

今月は年内最後の診察。
年越す前に診察記録を。


前回の診察以降、無自覚のまま不調になっていました。
11月に入ってからは仕事でミスを連発。
細かいことから大きなものまで、自分でも驚くほどの凡ミスも。
ミスをしないように細心の注意をしても単純ミスを繰り返す。
とにかく消えたい。消えてしまいたい。
最初はミスばかりしたので仕事から逃げたいのだと思いました。
仕事には行くものの、さてどうやって死のうかと冷静に考える毎日。
なぜこんなにも死にたくなるのかを考え、そこでようやく自分が不調であることに思い当たりました。
そういえば、私は「死にたくなる病気」だった。
消えたい気持ちは仕事から逃げたいわけではなく、身体と心が変調をきたしているとの救難信号だと気付きました。
この4月から新人の教育担当になっていましたが、担当を外してもらうよう上司に相談。
新人教育は複数人で行っていたのでスムーズに担当を外してもらえました。
夫には休職の相談をしました。
私としては仕事をバックれずに休職という選択肢が出ただけ健全になったな〜と思っていましたが、夫からは休職することを反対されました。
「ミスから逃げたいだけでしょ」と核心を突かれてしまいました。
診察直前だったこともあり、とにかく主治医の診察を受けた方がいいよ! とも。
「3ヶ月に一回の診察では期間空きすぎだと思っていた」とまで言われました。
後日主治医からも休職を反対されますが、夫のバランス感覚は相変わらず凄い。


そんな状態で診察に。
主治医に現状報告。
仕事でミスを連発していること、希死念慮が強いこと。
仕事を休職したいと相談したらやっぱり反対されました。
頻発したミスも休職の希望も今回については結果に過ぎず、原因の解決にはならないから。
こういうときはとにかく現状維持が一番。
いつもと同じ日常をおくるのが、不調からの復帰には一番の近道だったりします。

珍しく主治医からの提案があり、次回からは診察プラス自助グループにも参加することに。
自助グループに繋がって10年以上経ちますが、今回のように10ヶ月も離れたことは今までありません。
やはり定期的に参加しないと心の平安は保てないようです。


今回の不調の原因として考えられることはいくつかあります。
1.3月以降自助グループに参加していない
2.3月以降診察の間隔が2ヶ月→3ヶ月になった
3.季節の変わり目
4.2ヶ月程コンビニ弁当が続いた

たぶん一番大きな原因はコンビニ弁当が続いたことかと。
メンタルの病にとって食生活はとても大切。
料理をする度にフラッシュバックを起こしていると自覚してからは、無理に自炊をすることはありませんが、夫の協力もあり出来るだけ気をつけて食事を摂っていました。
それが10月以降夫の出張が続き、ほぼ独り暮らし状態。
あまり食事に注意をせず、毎日毎食コンビニ&外食。
振り返ってみると圧倒的にタンパク質とビタミン不足でした。
身体は食べたもので出来ていると誰かが言っていましたが、本当にその通りだと思います。
摂食障害でもあるので、一食分が分かりやすいコンビニ弁当は有難いのですが。
何事も偏りすぎは良くありませんね。

 

そういえば、主治医が私のことを「自傷癖・自殺行為癖」と表現していました。

自殺行為って癖というべきなのか?とも思いますが。

「行為」が癖なのか?

自傷行為するなら死ぬ方がマシと考えているので、やっぱり癖なのかもしれません。

 

 

バタバタはしましたが、今年もなんとか無事に年を越せそうです。
来年も出来るだけ穏やかに生活できるよう、細心の注意を払っていけたらと思います。
来年もまたよろしくお願い申し上げます。

忘れないように記録を

また診察記録忘れていました。月が変わってしまう。
今月は3ヶ月に一度の診察。

クリニックに診察場所が変更になってから、主治医の診察が丁寧で驚きます。
翌日から学会らしく、私の現状の振り返りと記念撮影をしました。
今のところクリーンでいる時間が最長だとかで、学会で発表するそうです。
「顔にモザイクかけるからね!」
とのことですが、それはそれで微妙な気持ちになりました。
主治医と出会って12年経ちますが、こんな適当な人でも医者をやってる!というのが私の心の支えでもあります(笑

今回の診察で、かつて私の大きな転機となった方の訃報を知りました。
個人的な面識はありませんでしたが、迷っていたときにとても大きな気づきを与えてくださった方でした。
なにをもって病的な関係なのか、どうすれば健全な関係となるのか?
理屈をこね回して堂々巡りしていた当時、その方のお話を聞いて目から鱗が落ちる思いでした。
泣いてばかりだった毎日をやめていいんだ!と勝手に背中を押してもらった気になっていました。
この手のことはタイミングが大切で、時期がズレていたら心に響くことはなかったでしょう。
私は本当に恵まれていると思います。

 

街に出たついでに義兄夫婦とご飯を食べに。

3ヶ月ぶり

今月は診察日。
今回から3ヶ月に一度のペースです。

診察場所が山の上の病院から街中のクリニックに変更されたので、仕事を午後休んで行ってきました。
交通の便が良いのは素晴らしい!

診察では近況報告。
特に何もなく、穏やかに過ごしていることの報告。
主治医からは仲間の近況を聞く。みんなとりあえず生きて頑張っている。
クリニックでは山の上の病院よりもマッタリとした診察で、ゆっくり主治医の愚痴を聞いてきました。

悩みがないのに診察に行く必要はあるのか?とも思いますが、予防が一番なのでしばらくはこのペースでやっていくつもりです。


病気以外に悩むこと、考えたり心配したりすること。
最近ではそういう時間も増えてきました。
それは決して不快なものでも大変なものでもなく、不謹慎ながらそれが嬉しいとさえ思っています。
ようやく自分が人間に近づいてきたようで(笑

 

逃げ出さずに終わること

先月は診察日。
また診察記録が月を跨いでしまった。
山の上の病院に定期的に通うのはこれが最後。のハズ。主治医とは別の病院で診察を続けるので通院が終わった訳ではないのですが。
とりあえず一区切りという感じです。

 

約10年半続けて来た役割が終わりました。
ふとした偶然で役割を頂き、辞めるタイミングを逃してここまでやってきましたが、めでたく卒業させて頂きました。
何をやっても続かない私が、一つのことを10年続けて円満に終わることができるとは思ってもみませんでした。
ちゃんと終われる素晴らしさ(笑

 

子供の頃には得られなかった安心感や信頼感を、濃い密度で与えて頂いたと思っています。
主治医やワーカーさんやカウンセラーさんなどだけでなく、私の話を聞いて下さった仲間や家族の方々。
沢山の人がいたからこそ役割を全う出来たと思っています。
今は以前のように生活の中で困ることも少なくなり、穏やかな毎日を過ごすことができています。
たとえ問題が起こったとしても、相談して解決方法を考えることができると思えることも、以前とは大きく違うことだと思っています。

 

振り返れば10年。
本当に少しずつ少しずつ変化してきています。
1歩進んで2歩下がるような回復の道の中で、全然回復していない、回復を感じられないと思う日も少なくありませんでした。
今も胸を張って回復しました!とは言えないですが、「人間は変われる」ということは信じられます。
かつては自分以外の人は変われるが、自分は変わることはできないと思っていました。
悪い方向に自分は特別だという意識があったのだと思います。

 

今度は3ヶ月に一度の診察。
次は6月です。