道の続く先

たまに更新します

3ヶ月ぶり

今月は診察日。
今回から3ヶ月に一度のペースです。

診察場所が山の上の病院から街中のクリニックに変更されたので、仕事を午後休んで行ってきました。
交通の便が良いのは素晴らしい!

診察では近況報告。
特に何もなく、穏やかに過ごしていることの報告。
主治医からは仲間の近況を聞く。みんなとりあえず生きて頑張っている。
クリニックでは山の上の病院よりもマッタリとした診察で、ゆっくり主治医の愚痴を聞いてきました。

悩みがないのに診察に行く必要はあるのか?とも思いますが、予防が一番なのでしばらくはこのペースでやっていくつもりです。


病気以外に悩むこと、考えたり心配したりすること。
最近ではそういう時間も増えてきました。
それは決して不快なものでも大変なものでもなく、不謹慎ながらそれが嬉しいとさえ思っています。
ようやく自分が人間に近づいてきたようで(笑

 

逃げ出さずに終わること

先月は診察日。
また診察記録が月を跨いでしまった。
山の上の病院に定期的に通うのはこれが最後。のハズ。主治医とは別の病院で診察を続けるので通院が終わった訳ではないのですが。
とりあえず一区切りという感じです。

 

約10年半続けて来た役割が終わりました。
ふとした偶然で役割を頂き、辞めるタイミングを逃してここまでやってきましたが、めでたく卒業させて頂きました。
何をやっても続かない私が、一つのことを10年続けて円満に終わることができるとは思ってもみませんでした。
ちゃんと終われる素晴らしさ(笑

 

子供の頃には得られなかった安心感や信頼感を、濃い密度で与えて頂いたと思っています。
主治医やワーカーさんやカウンセラーさんなどだけでなく、私の話を聞いて下さった仲間や家族の方々。
沢山の人がいたからこそ役割を全う出来たと思っています。
今は以前のように生活の中で困ることも少なくなり、穏やかな毎日を過ごすことができています。
たとえ問題が起こったとしても、相談して解決方法を考えることができると思えることも、以前とは大きく違うことだと思っています。

 

振り返れば10年。
本当に少しずつ少しずつ変化してきています。
1歩進んで2歩下がるような回復の道の中で、全然回復していない、回復を感じられないと思う日も少なくありませんでした。
今も胸を張って回復しました!とは言えないですが、「人間は変われる」ということは信じられます。
かつては自分以外の人は変われるが、自分は変わることはできないと思っていました。
悪い方向に自分は特別だという意識があったのだと思います。

 

今度は3ヶ月に一度の診察。
次は6月です。

少しずつ解ける

先日は今年最初の診察に。
山の上は快晴でした。
診察は相変わらず。
可能ならばテレビの取材が来るときは事前に教えて欲しいです。
いつも突然に「取材だから」と言われるのは慣れたとはいえ心臓に良くないです。

カウンセリングではセクシャリティについて。
アディクションの問題が落ち着いて、ACの問題に向き合って、絡まっていた糸が解けてようやく受け入れられる気がしています。

色々な問題が複雑に絡み合っていて、それが先天性の問題なのか後天的な要因によるものなのかの判断は難しいです。
今は、現在の私として生きていくしかないということ。
それは決して悲観的なものではなく、文字通り受け入れるということなのだと思います。


私の役割も残すところあと一回。

今更ですが、今年もよろしくお願いします。

いまさら11月の診察記録

とうとう月を跨いでしまった、というよりも年末になってしまった前回の診察記録。
忘れていた訳では無いのですが、遊びまわることに忙しいのです。

 

診察では主治医より「 最近、健康的になったね!」とのお言葉を頂きました!
「健康的」と言われることは「綺麗」と言われるよりも嬉しいです。


退院して10年経ちようやく病的に見られなくなってきたのだと思うと、回復の道は本当にゆっくりとしか進めないものなのでしょう。

私がアディクトであることはこれからも変わりません。
依存症は治らない。
それは一生ついて回るもの。
健康になることとアディクトであることは、思ったよりも共存できるようです。

 

カウンセラーさんからもここしばらくはあまり大きな変化はないと言われています。
問題はぼちぼち発生しているのですが、落ち着いて対処できていると自分でも思います。


ちなみに、結婚丸7年にして絶縁中の母に結婚したことが伝わった模様。
私は絶縁を決意した際に色々と想定していたので思ったよりも動揺もなく。
私よりも夫や姉の方が色々と心配してくれました。
12月の今日まで母からの音沙汰はないので、とりあえず無事に年は越せそうです。

褒めて伸びることもる

先日は診察日。
しまった。月を跨いでしまう。

 

診察では危うく主治医の話だけを聞いて診察室を追い出されるところでした。
診察はほぼ業務連絡なので問題ないといえばないのですが。
私(患者)の話を聞いてくれ。

 

ここ数年で世間からの病への認知が飛躍的に伸びたと思います。
メディアで取り上げられたり、司法関係者への理解も少しずつ広がってきているようです。
同じ病に苦しむ仲間が少しでも回復の道に繋がることを願っています。


カウンセリングでは久しぶりに起きた見捨てられ不安について。
先日夫が不注意で信号無視をしそうになりました。
運良く私が同乗していたので、すぐに声を掛けて交差点に進入する前に車は止まりました。
夫は自分の不注意だった、声掛けてくれて有り難かったと言ったのですが、それを聞いた私は見捨てられ不安が発動。
夫一人で運転中に同じことをするのではないか、注意すればいいと思ってるの⁉︎ と。
考えれば考えるほど怒りが沸いてきて、それと同時に湧き出る怒りに疑問を覚えました。
夫のことを心配する皮を被って、その実は私を遺して死んで欲しくないというエゴの押し付けでした。
もちろん夫には死んで欲しくないです。でも今回は私を遺して死ぬのは許さん!というレベルの話でした。

どこまでも自分勝手にしか生きられないられないのだと思う。

 

今回を含めてあと4回で自分の役割が終わります。


洋服で参加したらいつもの姿と違って褒めて貰えた。
洋服でも着物でも褒めて貰えるので、自己肯定感がとても高まります。

慣れるまでは時間がかかる

先日は診察日。
前回の診察から二ヶ月。
特に何があったわけではありませんが、診察日が来ることを心待ちにしていました。
まだこのリズムに慣れていないのだと思います。

 

診察では…何を話したかしら。
心待ちにしていたはずなのに主治医の顔を見て満足したらしいです。

 

カウンセリングでは落ち着いてきた日々について。
これがずっとつづくのかは分かりません。
アディクションに対する欲求も今は落ち着いていますが、またいつ出て来るのかも分かりません。
精神的な安定を心掛けて生きていますが、このバランスが崩れるタイミングは神のみぞ知ること。
だから今日一日を誠実に、出来れば楽しく過ごしたいと思っています。


久しぶりに取材を受けました。
普段考えもしない方面からの切り込みで質問があったりするのでインタビューを受けるのは好きです。
うまく伝わらなくてもどかしくなったりもしますが。

 

「幸せですか?」との質問に「幸せです」と答えられることの幸せ。
数年前に同じ質問を別の方から受けたときは「幸せです…かね?」と疑問形で答えた記憶があります。

 

少しずつでも確実に。遅々として進まぬように思えても、それでも変化はしていることに感謝を。

 

 

着ようと思った着物が縮んで着れなかったので急遽変更した。

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変化は遅々として

先日は隔月診察になって最初の診察日でした。

 

今年は二年に一度の障害者手帳の更新です。
とうとう今回は主治医に「もう手帳いらないでしょ」と言われてしまいました。
でもそのお言葉は前回相談した時に言って欲しかったです。
診断書料払っちゃったし。
「正直に書くからね!」と言われましたが、今までだって嘘書いていた訳ではありません。
更新が却下になるなら、それはそれで良いと思っています。


カウンセリングではここしばらくの穏やかな生活について。
イベントが発生しても寝込まずにやり過ごすことができるようになってきています。
ゴールデンウィークに20年ぶりに祖母に会いに行きました。
母と絶縁したこともあり意図的に親族との関わりは避けていたのですが、なんとなく祖母となら会っても大丈夫だろうと思ったのです。
もちろん行く前には夫や夫の両親に相談しました。
結婚する時に親族とも疎遠だと伝えていたので。
結果的に祖母と会って良かったです。
20年も顔を見せなかったのに、ただただ私が元気でいることを喜んでくれました。

かつて私にとって安全な場所は病院のベッドの上だけでした。
それが少しずつ広がって今では安全な場所が幾つかある状態。
アディクションによって分断していた色々なものが、ゆっくりとですが再度繋がり始めた感じです。

 

世界が広がるとはこういうことなのかもしれません。
離人感が抜け、世界が色付いて見えた感覚に似ています。

 

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変わらないことは大切

先日は月一回の診察日。
毎月の診察は今回で最後。
次回からは隔月の診察になります。
少しずつ親離れをするように、病院から離れていく準備をしています。

 

診察では…なんだったかしら?
特別なことはなくいつもの通り。

 

カウンセリングではここ半年程の回復具合について。
半年程度では安定したとは言い難いですが、一年前と比べると楽しいことを話題にすることが圧倒的に多くなりました。
友人や同僚と食事に行く回数も増えました。
趣味を通じて新しい出会いもありました。
それに伴って自己嫌悪に陥ったり不安になったりもしますが、以前に比べてそれは生活を脅かすものではありません。
少しは対人スキルが上がってきたのでしょう。

 

一年の中で一番苦手な春を迎えて、気候に釣られて体が不調を訴えてくるのをじっとやり過ごす毎日。

 

この時期は大活躍の伊勢木綿

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楽しさに惚けて

もう3月になってしまう。
先日は月一回の診察日。
忙しかったり楽しかったりして診察記録を放ってしまったわ。

 

診察では相変わらず。
此の期に及んで主治医から子供の催促。
そろそろ年齢的に無理だと思うのだけれど。

 

カウンセリングでは最近の楽しいことを。
楽しいことが多すぎて遊び呆けている日々。
楽しいことの続きが見たいから、とりあえず生きていようと思える程度には人生を満喫している。

 

もうすぐ春。 

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終わってみればあっという間

先日は月一回の診察日。
今年最初の診察でした。

 

診察では6年半ぶりに会った母とのことを報告。

 

カウンセリングではここ数日のことを。

先日、親戚の結婚式があり参列してきました。
親戚とも15年ぐらい音信不通にしており、姉経由で出席要請が来ました。
最初は欠席しようかと考えましたが、これも何かの機会だと思い出席することにしました。
そこで6年半ぶりに母と顔を合わせました。

 

私が結婚すると決めた7年前。
主治医を立会人にして、母と話し合いをしました。
母自身にも問題があり、不器用にしか子供を育てられなかったのだろうと思える程度には私も大人になっていました。
ただし、母の彼氏が私にした虐待を母が黙認していたことについてはどうしても許すことはできなかった。
虐待の事実を母に伝えて1年以上経ってからの話し合いの場でした。
「気がついた時には注意していた」
「やめて欲しいと彼氏と話し合いをした」
「今更どうしろというのか⁉︎」
以前は虐待の事実を知らないと言っていた母は虐待を認識していたことを自白して、開き直りました。
私は絶縁することを決めました。
この話し合いで「あの時はごめんね」と一言でも言われていたら、母に結婚することを告げ、夫にも紹介していたと思います。
夫の両親にも母との関係修復は無理だと伝え、私の母はいないものとして親戚との関係も断ちました。

 

そんな中での親戚の結婚式。
とりあえず独身のフリをして出席してきました。
親戚と交流のある姉がだいぶ話をしていて、親戚は私が結婚していることも知っていましたが、私は母と断絶していること、連絡先はおろか結婚していることさえ母には伝えていないし伝えたくないことを正直に伝えました。
親戚はそんな私の現状を受け入れてくれました。

 

結婚式当日。
母の姿を視界に捉えた瞬間、背中が強張りました。近づいて来ると膝が震え出し奥歯がガタガタと鳴りました。
軽いパニック発作、フラッシュバックの初期症状。
泣いたらダメだ!とグッと涙を堪えて指先を動かし、お茶を飲んで今現在の自分を認識すると、少しずつ大人の自分を思い出して落ち着きました。
以前ならその大波に流されてしまっていましたが、今回は何とか現実に留まることができました。
今回は発作が起きるであろうと予測していたので、予め対処法を考えていきましたし、今までの訓練の効果があったと思います。
とはいえ、存在するだけで娘にパニック発作起こさせるとは相変わらずの母です。


当日までは胃が痛くなったり不安定になったりしたものの、行ってよかったと思いました。
退院して次の春で10年になります。
今だからこそ母と顔を合わせても大丈夫でしたし、親族の結婚も祝うことが出来た。
機会は与えられるもの。必要な時に必要なものが巡って来ると思っています。