詳しいことは専門家に聞くこと
先週は月一回の診察日。
今年は秋がやってくるのが早く、快適な季節が長くて嬉しいです。
診察では体調不良について。
最近胃腸の調子が悪くて主治医に相談した所、次回の診察まで専門医の受診を約束させられました。
精神科以外は全く信用していないので、本当に報告のみ。
カウンセリングでは「ムカついた話」を。
先日仕事でムカついたことがあって、その時の感情と日常生活で感じる「怒り」や「ムカついた」という感情との違いについて考察。
日常生活(プライベート)の時の怒りは、細胞レベルから沸き立つような感じ。
この怒りを相手に分からせるためなら、どんな手段をも使ってやる!というか。
仕事モードの時は理性的に怒っていてると自覚できる。
怒っていてもそれで取り乱したり、相手に自分が正しいと分からせてやろうという気はほとんど起きなかった。
多分本来の「怒り」という感情は、仕事モードの方が健全な気がします。
悲しみよりも怒りの方が簡単に発散出来てしまうので、つい「怒り」の感情に頼ってしまうのです。
悲しくても淋しくても苦しくても怒ればよかったので(苦笑
5月と10月限定になる撫子の柄の着物。
雨降って電車は止まる
先週は月一回の診察日。
台風が来ていましたが、この日は結局傘は開かず。
雨の合間を縫うように移動したようです。
診察は相変わらず。
主治医は寝癖つけたまま診察していましたよ。
カウンセリングでは先日の相方さんの朝帰りについて。
話をして気づいたのは、ようやく相方さんを「身内」として認識し始めていること。
今までそう思っていなかったわけではありませんが、精神的に遠慮がなくなってきたと言うべきか。
それが吉と出るか凶とでるかは、もう少し時間が経ってからでないとわからないです。
本当の回復はこれからなのだと思います。
台風だから全身濡れても平気なようにポリエステル。
洗濯機で洗えるのは本当に楽でいいわぁ
帰りがけに仲間から、ある仲間の訃報を知らされました。
みんな必ず死んでしまうけれど、この病気は本当にすぐ死んでしまう。
みんなみんな幸せになれたらいいのに。
何度も同じことを繰り返している
先日、相方さんが酔って朝帰りしました。
まぁ、いつものことと言えばいつものことなのですが。
酔って帰宅し寝ながらえずく。電話が鳴っても起きず、終いには寝ゲロ。
洗面器抱えて寝ている相方さんの姿を見て、本気で殺意を覚えました。
そしていつものようにフラッシュバック。
青白い顔をした母親。電話に出ない姉。口だけの継父。
そのどうにも出来ない無力さが、絶望だと気づくまでだいぶ時間がかかりました。
えずきながら寝る相方さんを残し、私は仕事に行きました。
正直に言えば相方さんを一人にするのが不安で、仕事を休もうとも思いました。
「大人だから」「単なる二日酔いだから」と言い聞かせ、仕事は有難いことに忙しくて相方さんを思い出す暇もありませんでした。
ようやく起きたらしい相方さんと帰宅後に話し合いをしました。
できるだけ理性的に、自分の問題(母親とのこと)とは分けて話をしようとしました。
私がどうしたいのかを伝えようとしました。
結果はいつも通り、グチャグチャに泣き喚くことになりました。
たかが酔っ払い。たかが二日酔い。たかが…
もちろん家族が酔って帰ってきても平気な人もいるでしょう。
吐いていても「あー飲み過ぎたのねー」で済む人もいるでしょう。
私はダメだった。
このまま目の前の人が死んでしまうのではないか、という恐怖から抜けられないのです。
トラウマでしかないと頭で分かっていても、心がついていかないのです。
相方さんが死んでしまったら、また私は独りぼっちになってしまう。
いや。相方さんがいないと生きていけないなんて、甘ったるいことは言わないけれど。
それでも独りぼっちになることは嫌なのです。
結局、ただわがままでしかない私の言い分を、相方さんに伝えるだけで精一杯でした。
気温の変化は少ない方がいい
先日は月一回の診察日
湿度が高くて髪のうねりが止まらないです。
診察はいつも通り。
結構な頻度で「旦那イジメていない?」と訊かれます。
どれだけ暴君だと思われているのかしら?
先月は誕生日でしたので、誕生日プレゼントとして主治医からの握手を頂きました。
カウンセリングでは立場の変化について。
ここしばらくは姉夫婦との距離感が課題でした。
自分のスタンスがハッキリしてみると、病気の人の家族としての見方ができるようになってきました。
ずっと当事者の立場でしたので、ちょっぴり新鮮。
夏帯は軽くて快適ですな。
優等生より問題児がいい
先日は月一回の診察日。
癒されていると思っていた部分が、実はまだ癒されていなかったと思い知る。
山の上でも陽射しがきつくなってきました。
先月預けた診断書が一ヶ月経っても出来上がっていなかったので、せっついて書いてもらってきました。
前回の診断書と見比べながらも
「だいぶ頑張ったね!」
とのお言葉を頂きました。
主治医の患者の中では優等生に分類される私ですが、それはそれで少し淋しさも覚えます。
症状が酷いほど主治医を独占出来ると勘違いしてしまう、おかしな思考があるのです。
親の目をこちらに向ける為にイタズラする子どものように。
思考はなかなか改善しませんな。
とはいえ、そろそろ障害者手帳の審査が通らなくなるといいなと思います。
カウンセリングでは姉との距離感について。
姉夫婦が最近不穏な気配を漂わせているので、いかにして自身の心の平安を保つかが課題です。
根の深さを再確認。
今回は何故かよく褒められた。
風薫る五月は快適
先週は月一回の診察日。
GWが過ぎてから汗ばむ日も続いていましたが、さすが山の上。
陽射しも気温も風も、風薫る五月とはまさにこのこと。
爽やかで快適な一日でした。
診察では主治医の文字の読解。
カルテに書いてある文字が分からなくなり、二人で推理する事態に。
少し前に主治医の引退説が出回ったので、一応真偽の程を確かめてきました。
「まだ引退にははやいかなぁ」
というのが主治医のお答えでした。
趣味のしすぎで腱鞘炎起こすくらいには元気らしいです。
カウンセリングでは姉との関係について。
母親からの影響度が私よりも姉の方が大きいと思っていると姉に伝えたら、姉がとても驚いていました。
私は人生の破綻が早い段階でやって来ただけで、生きづらさという点では姉もあまり変わらないと思っています。
人生が破綻していない分、私から見ると姉が苦しそうにも見えるのです。
(破綻した方がいいというわけではありませんが)
苦しそうな姉の姿を見るとかつての自分を見るようで、早く楽になれたらいいのにと思う一方、もどかしさも覚えます。
「でも〜」「だって〜」と言い訳ばかりを私もしていましたので。
覚書
時期を逸した桜と雪
すっかり忘れていたわ。
今月の診察記録。
診察日は4月上旬。
山の上の病院に向かう途中から、一面真っ白に。まさかの雪でした。
山の麓は桜が散っていましたし、山の上でも桜は咲いていましたので。
この4月で退院して丸8年となりました。
8年前の退院時、帰るべき家も待つ人もいなく、ダンボール箱2つに旅行カバン1つとビニール傘1本が全財産。
山の上の病院の桜はまだ蕾で、電車を待つ麓の町は満開でした。
まともに電車すら乗れなかったあの頃。
そろそろ時間の経過を数えなくても良い気もしますが、当分はやめられそうにありません。
診察は相変わらず。
主治医が忙しいという愚痴を聞いてきました。
カウンセリングでは、恒例・春の絶不調について。
2月後半からGW頃までいつも以上に不調が続きます。
寒暖差や花粉、紫外線量の増加など不調になり易い要因が重なることも大きいと思います。
先日も思考が腐り過ぎて冷蔵庫を抱えて泣く羽目になったり、相方さんに八つ当たりしてみたりと、通常運転と言えばそれまでですが。
料理を作る度にフラッシュバックを起こしていると指摘されて以後、料理をすることに無理をしないようにはしてきました。
それでも「出来て当たり前」という思考が「出来ない自分」を責め立てる。
頑張っても出来ないのに、出来るはずだと理想を追う。
現実はやはり出来ない自分しかいなくて、理想と現実との差を受け入れ難い。
結果として冷蔵庫を抱えて大泣きする事態になり、相方さんに心配をかけてしまいました。
伊勢木綿は着易くて好きです。
冬が終わるというより春が来てしまう
先週は月一回の診察日。
山の上の病院は快晴でした。
診察は相変わらず。
相変わらず過ぎて何を話したかしら…?
カウンセリングでは、自己肯定感の話。
この前、久しぶりに独りで遊びに出掛けた反動で、体調を崩しました。
遊んでいる時は純粋に楽しかったのですが、時間が経つほど「楽しんでしまった」と罪悪感が出てくるのです。
自分のための楽しい時間を過ごすことは相変わらず慣れていないのだと改めて実感しました。
一方、義両親と食事に行き、後日それが私の「ひな祭り」だったことが判明。
三十路も過ぎた私が「ひな祭り」というのは恥ずかしいと思うのです。
しかし、義両親の気持ちを思うと「祝ってもらえて有難い」と考えるようになりました。
そして以前の私ならば「祝ってもらって申し訳ない」「気を使わせて申し訳ない」「こんな私のためにお金を使うなんて…」と思っていたとも思うのです。
自己肯定感は数年前からすれば、間違いなく高まっている。
けれど、自分で思っているよりは高くない。
となると、世の中のフツーの人はどのくらい自己肯定的があるのでしょうか…?
回復の道を歩み始めた頃に読んだ本には「あなたは生きていて良い」「生まれてきてくれてありがとう」等々強い言葉が溢れていました。
そして回復の先には「私は生きていて良い」「人生ってスバラシイ!」と思える自分がいると考えていました。
しかし、私はきっとこのまま、あまり自己肯定感は高くないままで生きていくのだと思います。
根底にあるのは昏い感情。
この感情と適度に付き合っていけば、アディクション含めてあまり周囲に迷惑をかけずにいられる。
相変わらず酷い着付けだわ。
2月の診察
先週は月一回の診察日。
2月というのにあまり寒くない日が続いています。
今回の診察では主治医から驚きの報告が。
主治医『知ってる?この前手術したんだよ〜』
私『は?』
身体中ガタがきているのは主治医の年齢を考えれば当然のことで、いつまでも若いわけではないのよね。
カウンセリングでは思考の変化について。
相方さんの飲み会関連。
自分が過去に囚われていると気付いたこのとき。
気付いてなお悪足掻きしたこのとき。
自分の中の本音に目を向けることができたこのとき。
そして今回。
この前、相方さんが飲み会に行った時。
相変わらず明け方まで飲んで帰宅。
身体から立ち昇るお酒の臭いに私はとても寝ていられず。
相方さんの身体から脱いだ服からお酒の臭いがして、結果家中お酒臭いという事態に。
今回の私は「家中のお酒の臭いが消えるまで家には帰りません」とメールをし、近くの喫茶店で朝ごはん食べてきました。
怒らなかったと言えば嘘になりますが、以前のように激昂するようなことはありませんでした。
相方さんは変わらない。
それでも以前と違う行動が取れたこと、自分の気持ちが大きく違うことは間違いありません。
怒ることと感情的に激昂することとの違いも、自分の中では大きな違いでした。
今月の着物覚書。
薄ピンクの袷、岡重の帯、雪あられの羽織。